Let's cook Thailand
   タイ北部へ… 旅行記&食事集 その8

'06年2月19日〜2月24日に旅行したタイ北部の写真です
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 5日目 昼・ メーサロン
 “メーサロン”は「中国国民党」の残党が造り上げた街である。(参照その7)
 この日は、街の中心でバイクタクシーの運転手をチャーターし、主要観光地(とは、いっても少ないが…)と、山岳民族が住む村を訪ねることにした。
 ←このバイクタクシーの運転手、もちろんメーサロンの地元民で両親は元・中国人だとのこと。 彼も家では中国語だけを使っているそうで、外界から来た人と接する時や対外的な行事の時だけはタイ語を使うという。 バイリンガルのバイクタクシー運転手なんて、バンコクではまず考えられないことである。 [イサーンの方言(ラオス語やカンボジア語)と標準タイ語を使い分ける、というのは考慮せず。]

 『泰北義民文史館』は2年ほど前に開館したばかりの新しい博物館である。 入場料は「How much?」と聞けば30バーツ、「タオ・ライ?」と聞けば20バーツになる(笑)
 館内の説明は「タイ・英・中国語」の3ヶ国語でされており、祖国・中国の為に闘った国民党軍の軌跡を称えている。建物の中央部には戦闘で亡くなった兵士の墓標が故郷・昆明(雲南省)の地図の下、並べられているのが印象的であった。
 中国国民党(蒋介石)が建てた「台湾」からの旅行者がここには非常に多いそうで、小さい街ながらメーサロンは同胞・台湾人と交流が非常に盛んなことが資料を眺めると良く分かる。
本日のガイド
バイクタクシーの運転手
『泰北義民文史館』 展示物の中には、「台湾」を
敬愛する記述が目立つ
雲南省の地図の下、祀られている故人の墓標
その数は、相当数にのぼっている。 先ほどのガイドもこの前で深々と長く敬礼をしていた。

(写真1)

(写真2)
 旅の途中、茶店に立ち寄った。
 茶畑が広がるこの街では、この様に茶店でお茶を飲むのは基本的にタダ。 もちろん店の人間がタダで客を返すわけもなく、その後飲んだ茶葉のセールスが始まるのは目に見えていたが、折角なので椅子に座った。
 出されたお茶は「烏龍茶」。金萱烏龍茶(ウーロンNo.12)と軟枝ウーロン茶(ガンオンウーロンチャ)という二種類で、どちらも今まで飲んできたウーロン茶とは一味も二味も違う。 口に含んだ瞬間に驚きが出てくるような味わいで、その説明を聞けば「中国茶」の奥深さを知らされた。

 中国茶の飲み方も初めて教えてもらった。

1、茶葉を入れた急須にサッと湯を入れ、すぐにその湯は捨てる。 ただし、全てを捨てるのではなく、その“一番湯”は湯飲みを温めるのに使う。(写真1)

2
、再び急須に湯を注ぎ1分ほど置く。注ぎ用ポットに移し、温めた湯飲みに注ぐ。 注ぐのは細長い湯飲みにだけで、「お猪口」で「細長湯飲み」に蓋をする。そして、それをひっくり返す。(写真2)

3、「細長湯飲み」をソッと持ち上げ、茶を「お猪口湯飲み」に落とす。そして、「細長湯飲み」に残っている香りを嗅ぐ。(写真3)

4、香りが鼻腔に広がったら、茶をいただく。
茶器に入れたお茶を
注ぎ用ポットに注ぐ
茶飲み器(湯飲み)は「お猪口」のように小さなものと、
細長い(7cm位)の物の2つで1セット。

(写真3)
こうして、茶の香りを
まず楽しむ
香りを楽しんだ後は茶を頂く (左)・金萱烏龍茶
[ウーロンNo.12]
(右)・軟枝ウーロン茶
[ガンオンウーロンチャ]
 国民党軍の将軍・英雄クンナイポンの墓。
墓の後ろには、現国王のプミンポン陛下と会ったときと、蒋介石と会ったときの写真が掲げられている。
 壁には「南無阿弥陀佛」とあった。 ガイドに呼んでもらうと「ナームーオーミートーフォー」だとのこと。似ているような似ていないような…
 
クンナイポン
(段希文)将軍の墓
ナームーオーミートーフォー 桜の木
 メーサロンの街より山中の細道に入って約2km、アカ族の村があった。 この村の人たちは、昼間街に出稼ぎに行ったり、農作業をしに畑へいっているようで、この時間、村はひっそりとしていた。
 住居は木や竹で作られており、高床式である。
なぜか、アカ族は急激な斜面に集落をつくるそうで、村の中を歩こうとすると、非常に大変であった。
 村人が話している言葉は「タイ語」でも「中国語」でもない「アカ語」。全く何を話しているかは理解不能。 な、なんと、バイリンガルのバイクタクシー運転手兼ガイドさん、アカ語もある程度理解できるという。スゴイ…
アカ族の女性
今から農作業
アカ族の住居 タイ国花
ゴールデンシャワー
 アカ族が住んでいる集落から、さらに山の中を2km。リフ族の住んでいる村に入った。 ここに至る道はまさに土と石だけの悪路で、乾季の今はバイクで入れるが、雨季になると徒歩でしか入ることが出来なるそうである。

 リフ族の住む村に入ると、すぐ目に付いたものがあった。「ソーラーパネル」である。 ここには、昔より電気が通じてないため、タイ政府がタイ同化政策の一環として、この村にこの「発電機」を設置したそうである。

 談笑していた村の女性たちは非常に恥ずかしがりやで、可愛らしかった。 しかし、村に観光客が来ることは珍しいことではないようで、突然の来訪にも関わらず、私を温かく迎え入れてくれた。

 このリフ族が使っている言葉は「リフ語」。さすがのガイドも「リフ語」は分からないようで…。 
山岳民族が住む村へは
舗装道路が無い所を行く
リフ族の女性たち この村には電気が来ていない
リフ族
食事の支度
リフ族親子 豚が飼われていた
 別の所に、再びアカ族の村があった。
 村の入口に2体の木で造られた像が建っている。 それらは、性器の部分が異様に誇張されている像で、「男性」と「女性」を表しているのが明らか。 なんでも、“人間の性欲は信仰の世界では忌ましめるべきものであるとする信念に基づいている”という考えがあるのだそうだ。(ガイドブック参照)

 民族衣装を着ている人は意外にもほとんどいない。唯一、母親におぶられていた赤子だけが民族独特の衣装を身にまとっていた。

 村の真ん中に巨大な水がめがあり、ちょうど私が訪れたときに女性・子供の村人たちは、皆で水浴びをしている最中であった。 

 その横では、収穫して乾燥させたトウモロコシを麻袋に入れ、女性が木の棒で叩き脱穀していた。
 トウモロコシも、以前栽培されていたケシの花の代替作物であるそうだ。 彼女が人力だけで必死に脱穀していたトウモロコシも、やがては街に降り、非常に廉価ながらも彼女らの重要な生活資金となっていくのだそうである。
 
アカ族の集落 入口にあったモニュメント 正に山の中に建っている
水浴び その1 水浴び その2 アカ族の親子 その1
アカ族の親子 その2 トウモロコシ トウモロコシ脱穀中
(マウスポインタを写真の上に置くと、女性が棒を振り始めます)

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