Let's cook Thailand
   タイ北部へ… 旅行記&食事集 その7

'06年2月19日〜2月24日に旅行したタイ北部の写真です
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 5日目 朝〜昼・メーサイ 〜 メーサロン
 チェンラーイ県はタイ最北部の県であり、農業(第一次産業)が経済の基盤となっている「田舎」である。
 西部の山岳部は深い森林で覆われており、独自の文化・風習・言語を持つ数多くの山岳少数民族が住んでいる。一帯はトレッキングなどを楽しむ西洋人観光客で賑わっている地域でもある。
 そんな山の中に、ちょっと特殊な人たちが住む小規模の村を見つけた。“メーサロン”である。

 メーサロンは「中国人が住んでいる街」としてタイ人コミュニティでも良く知られている街である。ここの人々のほとんどが1949年に起こった中国革命後に雲南省・昆明付近からミャンマー経由で逃れて来た元・中国国民党員であり、「93連隊」の名前が付いていた武装軍隊とその家族でもある。
 中国共産党の反逆者としてミャンマーからも追い出された人々は、安住の地を求め、1960年代にタイ領へ移り住み、故郷「雲南」にある農村と同じような街を造り上げた。それが“メーサロン”である。
タイ政府は正式にここの人々を「難民」と認め、タイ同化政策を打ち出し、尽力をしてきたそうである。

 チェンラーイ県を縦断する国道一号線からメーサロン村は西へ40km近く離れているに山中あり、そこへ公共交通機関を使って行くには、国道一号線から再びあのソンテウ (旅行記その6参照)に乗らなくてはたどり着く事が出来ない。今度こそ運行時間を確認して、乗り込んだ。
 40kmとは言え、急勾配・急カーブの厳しい山岳道ばかりを1時間余り、メーサロンへ向かった。
チェンライの田園に
朝日が昇った
また、検問 チェンライの市内地より、
メーサロンへはこのソンテウが唯一の公共交通機関
ひたすら、山の中を走っていく
30kmの道のりを約1時間かけて走っていく
山中、またまた検問
かつて密造アヘンが
大量にここを通過していた
 メーサロンは街というより「農村」といったほうが適当なほど静かな所である。車や人の往来は極端に少ない。 山の尾根に沿って造られた小さな街には、タイ文字よりも漢字で書かれている看板が多く目に付く。聞こえてきた住民同士の会話は完全に「中国語」であった。

 ソンテウ降車後、荷物を置きに早速バンガローへ向かった。 入口で温かく迎えてくれたここのオーナーも顔つきからして「元・中国人」だとすぐ分かる。そして、なんと全くタイ語が通じない。 タイ国内で「現・タイ人」に対し“英語”でしか会話が成り立たないとは…
メーサロンのメインストリート
静かだ…
今回一泊した、ゲストハウス&バンガロー
一泊たったの200バーツ
客は殆どか西洋人(ファラン)の観光客
 ここの郷土料理、というか故郷の味である「雲南料理」。
この街にはタイ料理店もあったが、私が何よりも目を引いたのは、タイではここにしかないであろう「雲南麺専門店」。 店の看板は写真の通り。タイ文字では小さくしか書かれていない。メインは漢語表記である。

 早速店に入って注文を… 一瞬仕方を迷ったが、タイ語で「コー・バミー・ナーム (ラーメンちょうだい)」とだけ言ったら、きれいなタイ語で店番をしていた若い女性が答えてくれた。
 どうやら、ここで育った人たちは、タイ語での学校教育を受けているので、タイ語と中国語のバイリンガルのようである。

 出てきた、バミー・雲南麺(←写真)。
これがあっさり味で非常に美味しい。麺は手打ち麺。 鶏肉を細く棒状にしたものかトッピングとして付いており、全く辛みはついていない。

 この店では何も言わなくても、温かいお茶が出てきた(無料)。 メーサロンは高地気候で非常に涼しく(時には寒く)、長袖を常に持ち歩いていないといけないような所である。 年中暑いバンコクでは、屋台などで熱いお茶が出てくる事は、まず無い。
 バミー ナーム ユーナーン (雲南ラーメン)
 タイ政府はメーサロンの住民を「タイ人」にすべく難民認定後の1960年以降尽力をしてきたが、なかなかそれが功を奏する事はなかった。
 ここの土地に通じる舗装道が出来たのは、つい20年ほど前のこと。1980年代以前は馬で山越えするしかここには行けず、メーサロンが完全に陸の孤島であったことがその理由のまず一つ。 そして、なによりも、ケシの花栽培・アヘンの取引が国民党軍(つまり住民)を通して日常茶飯事的に行われていた為であった。
 舗装道ができ、タイ国軍や警察がこの土地に入って麻薬の製造・販売を本格的に取り締まれたのは、まだここ最近の話なのである。

 ケシ畑だった所はあっという間に無くなり、現在ではその殆どが「お茶畑」に姿を変えている。
 「お茶」の話は次の“その8”でするとして、メーサロンの街中にはそのお茶の工場及び販売所が数多くある。 街で唯一見つけたガソリンスタンドも、コンビニではなくて、「お茶販売所」を併設・兼業していた。店員は一人だけである。

 メーサロンはまた、イスラム教徒が多く住んでいる街でもある。前日のメーサイやタチレク(ミャンマー)でもそうだったが、ここ一帯では住民に対するイスラム教徒の割合がかなり高いのには、ちょっと意外であった。
街の各所で、この様な茶葉の精製所、販売所がある。
販売しているのも「元」中国人。 タイ語が、あまり通じない…
このガソリンスタンドには、お茶販売所が併設(兼業)してある。
写真を撮っていたら、物乞いがやって来た… 
モスク
 1980年代後半には外界からの舗装道ができ、メーサロンの開発が急速に始まると、その先頭に立ったのは、なんとタイ王族の一家であった。
 「悪い麻薬の撲滅」と「タイ人であること」が意識付けられたメーサロンの住人は、一気にタイへと同化して行き、メーサロンの街も今では武装している人もいない平和な所になった。

 10年前の1996年には、現国王(ラマ9世)の母上に献上された「キング・マザーズ・チェディー」がメーサロンにある小高い山の頂に建てられた。
 この「キングス・マザー・チェディー」はメーサロンの街中からはどこでも見える位置にあり、まるでここの住民を見守っているかのように建っている。

 ここへ徒歩で716段の階段を登って行ってみたが… 疲れた。 しかし、この頂から見下ろすメーサロンの街、そして眼下に広がる茶畑と連なる山々の風景は、絶景とも言って良いほどであった。

 
街の裏手の山頂に
キングス・マザー・チェディー
がある
山頂までの階段は716段…
長すぎ。
キングス・マザー・チェディ
山頂より、街並み 山頂に咲いていた花 飛んでいた蝶
 キングス・マザー・チェディーが建っている山の中腹には、以前国民党軍が軍事訓練所として使っていた場所がある。 現在は観客向けの宿泊施設として利用されており、特に台湾から来る観光客は大挙してここに泊まっているそうである。

 レストランも併設されており、美味しい雲南料理が提供されると聞き、行ってみた。レストランの名前は「サクラ・レストラン」。
『サクラ』は別に日本を特に意識したものではなく、この地方には「桜の木」が沢山あることに由来しているようである。 実際、気候が年間を通して一番涼しくなる12月ごろには桜が毎年満開の見事な花を咲かせている。 私は、写真でしか見る事が出来なかったが、まさに「見事!!」な満開桜であった。

 サクラレストランは、完全な中国(雲南)料理店であった。注文して食べたり料理も写真の通り、裏山で取れた“椎茸の炒め物”と“麻婆豆腐”。 そして横にはホット烏龍茶。 美味しいレストラン…と聞いてはいたが、実際の料理自体の味はノーコメント。

 実はメニューの中に「ヤム・バイ・チャー(茶葉のタイ風サラダ)」というのがあり、興味津々で注文してみた。すると、中華ドレスを着た店員に『だいぶ時間がかかるけど良い?』と聞かれた。
『どれ位?』と聞き返すと、『分からないわ、茶葉を摘みに行って、帰って来るまでは時間がかかるから、かなり…』とのこと。
なんでも、注文があるたびに摘みに行くとか。 そんなワケは無いと思うが…
結局、食べられなかった。
山の中腹に、昔軍事訓練所だったところがある
現在はバンガロー式ホテル
中腹より、街並み
烏龍茶 キノコ炒め 麻婆豆腐


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