Let's  cook  Thailand
  

国家

サッカーW杯が日韓で共催され、日韓両国に留まらず世界中が熱狂した。タイも例外でなく、自国が出場していないにも関らずその盛り上がりはものすごい。私も日本から遠く離れ、異国の地で母国「日本」をテレビで観戦し応援をした。

テレビ中継を見ていて、試合前に国歌が流れた瞬間、私は非常にビックリした。
現代の日本の感覚からすればそれは異様な光景であると思う。一つの場所に集まった数万もの人たちが、あの「君が代」を斉唱しているのだ。そこの場所だけではない。その映像を見ていた日本全国、世界各地にいる日本人が心の内のどこかで同時に歌っていたのかもしれないと思うとこれは凄いを超えて驚愕的なことであろうと思った。数年前の国歌・国旗騒動などは一体どこへ行ったことだろう。私を含め、普段は歌う事の無い若者たちが君が代を大声で歌い、日の丸を力いっぱい振っている。それを見た瞬間「日本人にも愛国心があった」と思い、どこか嬉しかった。

タイでは毎日、午前8時と午後6時の2回、テレビやラジオの全局、公的な機関・場所や公園で国歌が流れている。その時、大きな公園にいると、ランニングをしている老人、散歩をしているオバサン、いちゃついているカップルまでもが起立をして全く動かずに国歌を聞き入れる姿を目にする。若者がショッピングで集まる場所(サイアム・スクウェア)で、私がこの光景を始めてみた時は大変驚いた。今時と言われる若者が全員微動だにしていない。動いていたのは物珍しそうにこの光景をカメラに収めていた西欧の外国人だけであった。その時間だけ、そこには一種の特別な空気が流れていた。
タイの人々は、よく大雑把と言われる事があるが、自国に対しての忠誠心・愛国心というものは、はっきりとしている人種であると感じる。街中ではタイの国旗を多く見かける。日本国内では日の丸をこのように見ることはまず無い。こんな風に感じるのも私が日本人であるが故の事であるのは悲しむべきことなのであろうか。他国民で愛国心の強い民族の人たちであれば、そう驚くべきことではないのであろう。

「タイ人は本当にタイが好き」である。自国が何でも一番とは思っていないが、一般的な日本人ほど自分の母国が遠い存在でもない。またタイでは王制を敷いており、時に政治的な問題解決にも王が出てくることがあるそうだ。どんなタイ人にとっても現在のプミンポン国王(ラマ9世)は絶対的な存在である。それはタイの紙幣に描かれている肖像が全てこの国王であることからも汲み取れる。一体この愛国心と忠誠心はどこから生れてくるのであろうか。
おそらく小さい頃からの教育で国民全員がそのような意識になっているのだと思う。思えば昔の日本も天皇を絶対的な存在と教えていた時代には「天皇絶対」の意識は強かったものの、戦後、学校教育からそれが消え去ると同時にそのような意識も薄れていった。「大東亜戦争(第2時世界大戦)で日本は悪い事ばかりをした」と、東アジア地域・西欧列国植民地支配からの脱却と言う旧日本軍の大きな功績を棚に上げ、決して称える事の無い教育を今でもしている国々(日本も含)では残念な事に、やはり国民心理的に『戦中の日本=悪い国』になってしまっている。国が違えば、学校教育が違う。そして自国に対する教育が違えば、このように愛国心・忠誠心も全く異質のものになってしまう。
タイには徴兵制度がある。現在は2年間、ひと昔前までは3年間、国民の義務として男子は軍隊に入隊していく。そこには大雑把という言葉は存在していない。隣国ミャンマー(ビルマ)が軍事政権であることもあってか、常にタイ軍は緊張を強いられている。つい先日も国境で銃撃戦があり、ミャンマーとの国境が封鎖されたばかりである。タイに軍隊は必須である。軍隊に入れば自ずと信じるものは「自分の国」だけになる。
日本が今向いている方向は、正しい方向なのか、それとも間違っている方向なのか_

日本人が君が代の歌詞の意味をしっかりと理解せずに歌い続けていく事はこのままで良い事なのであろうか…とも思う。外国人から見て国歌の歌詞の意味も知らない日本人はやはり特殊な民族なのであろう。「なぜ?」とあるタイ人に聞かれ、私は全く答えることが出来なかった。タイの国歌の歌詞には「我らが国の為 捧げんこの命 万歳!」といったような一節がある

タイに滞在して約3ヶ月。まだまだ短い期間ではあるが、日本ではない異国の地に来て、全く異なる文化、しかも「東南アジア」という日本にしてみれば特別な地域の文化に触れ、こんな事をしみじみと感じてみた。文化の違う土地に来て客観的に日本を見ることができると言うのは、とてもいい経験なのかも知れない。

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