Let's  cook  Thailand

   バンコク・一言日記 (過去分) 

3月30日(火) 私がバンコクに来て、今日で丁度2年が経ちました。早い早い。 あっという間でした。 
という事は、このサイトも立ち上げてから2年が経ったという事です。 あれよあれよという間に、もう少しで90,000Hit !! 
毎日更新のつもりが、いつの間にやら不定期更新になりそうにも拘らず、毎日このページを飽きずに覗いてくださっている皆々様、ありがとうございます!!   そしてゴメンなさい。 
来月はちょっと今までにないほど長期で更新を中断しますが、また必ずやこのペース(→訂正→「マイペース」)で更新再開しますので、今後も懲りずに覗いて頂ければと思います。
3月29日(月) タイの携帯電話使用方法であるが、私が来てからのここ2年だけでも個人的に大幅な変化が見られている気がする。
1. まず、根本的なマナー。 
未だに日本ほど周りにいる他人に配慮することは決してないが、それでも最近は電車の中で大声で携帯電話を使っている人をあまり見かけなくなった。まぁ、たまには見かけるが…
2. 通話方法。
以前に「たわごと」のコーナーでも書いた記憶があるが、1年ほど前までは、携帯電話にイヤホンマイクを付けて、手ぶらで一人喋っているタイ人を街中で良く見かけた。が、最近はあまりいない。日本と同じく、携帯を手に持って耳にあてて喋っている人のほうが比率的に高くなった。 また折りたたみ式の形態も普及してきた事もあってか、携帯の形にも幾分かのタイ人的なこだわりが見え隠れしている気がする。
3月28日(日) プーケットよりも遥かに南、マレーシアと国境を接しているタイの3県で、近頃爆弾テロや学校放火、警察官・医者の襲撃、殺害といったニュースが流れている。 中東ほどの規模ではないにしろ、実はタイの南部でも独立過激派が存在していて、最近のタイニュースを独占している。
一部では厳戒令も出ており、日本の外務省も海外安全情報を出している。タイ南部に少しでも行こうと思っている方は、ご注意を。
3月27日(土)
BTS(スカイトレイン)のホーム。
現在、各駅に写真のようなテレビ(矢印)が設置されてある。

朝・夜以外の時間帯は、常に何かCMが流れていて、ホームで電車待ちをしているタイ人がこれを見ている。 タイの街中にも普通にテレビ。 

バンコクに長く住んでいる人いわく、「この街も変わったな〜…」
3月26日(金) ここ数日間、毎日仕事後に色々な方々とお会いする機会が続いていて、自宅でパソコンをあける余裕がなかったので、ちょっと更新間隔があいてしまいました。スイマセン。
タイ料理関係では、毎月一回は不定期で日本からタイに来られている、タイ食材輸入食材販売会社最大手の、アライドコーポレーション・氏家氏(→ HP タイの台所・(株)アライドコーポレーション) や来月4月より本格的に東京にて庶民のタイ料理を移動販売ケータリング販売する佐藤氏(→HP http://www.saraiandvalue.com)と夜が明ける寸前まで(厳密には4時半頃まで)飲んでいました。 
タイ料理に対するそれぞれのお話しが聞けて、「いやー、日本のタイ料理もこれからは、ドンドン面白い!!」のが実感。
3月25日(木)
3月24日(水)
3月23日(火)
3月22日(月) バンコク市内には、日本人が安心して行ける病院がいくつかある。ここでの「安心」とは=つまり「日本語通訳付き」の事なのであるが、その病院の一つ“バンコク病院”がバンコク市内で完全日本語の看板を掲げている。 
話によると、年明けからこの3月末いっぱいまでの契約で、日本人の利用が多い一部のBTS駅に置かれているが、日本人から見るとやはりその存在は決して小さくない。
私の通勤路に、この看板が一つあり、1月に最初見たときはさすがにビックリした。 契約終了期間が迫り、あと少しでこの看板も撤去されるのであろうが、それにしても、3月末にもなって「新年明けましておめでとうございます」と未だに書いてあるのはいささかな物かと、ふと思う。
3月21日(日) あまりタイのテレビ番組では、自分の見たい番組という物が無い。 日本では新聞の最終面に当たり前の様にある番組表がタイには基本的に無いので、どんな番組ががどんな時間にやっているかを私が知らないのもひとつの要因だと思う。
ただ、唯一、私が習慣として見ている番組は、日曜日の夜22:00頃から24:00頃まで7チャンネルでやっている「ルアン・チン・パーン・チュー」という番組。
番組名を直訳すれば「出会ってきた本当の話」。 つい最近に起きたタイ国内の身近な事件や事故を、再現映像、その時に実際に撮られた映像、被害者や関係者・警察のインタビューなどを交えて構成してあり、タイ語がわからなくても、映像のリアリティーだけを見ていれば、なかなか面白い番組である。 
最近の放送では、パタヤーのゲイバー摘発の瞬間、車で轢き殺され橋の下に捨てられた人の本物映像、ガス爆発で火災発生から消防士が人を救助する瞬間・黒焦げ死体回収の瞬間・そして鎮火後に建物が大崩落した瞬間が立て続けにTVに写った。 
普通の死体であればを堂々とTVに映してしまうところが、タイと日本の大きな違い。 それだけでも凄いリアリティーである。
3月20日(土)
3月19日(金)
3月18日(木)
3月17日(水) タイ人との挨拶の話 →続き。
親しくなってくると、タイ人は段々と挨拶の「サワディー」という言葉を使わなくなっていく。 日常となると必要性が無くなっていくかららしい。 日本では、どんなに親しい人であろうと朝は「おはよう」、昼は「こんにちは」、寝る前には「おやすみ」は当たり前のように感じられるが、そこまでの「挨拶」というものに対する感覚が日本人とタイ人はかけ離れている。 
日本人同士であればこの挨拶は「必需」であっても、タイ人の中でこの言葉は「便宜上の言葉」なのであって意外にも必ずしも必需ではないようである。
タイに駐在で来ている商社や工場関係者もいかに雇っているタイ人従業員と朝一で会った時に「サワディー」と言わせるかで苦労した人が結構いるようである。 朝だけでなく、退社時にすれ違ってもいかに「サワディー」と言わせるか。 
親しいタイ人同士の従業員では言わなくてもOKかも知れないが、やはり外国から来た日本人には、他国にいながら自分勝手かも知れないが、挨拶は言いあいたい感覚がある。何も無いのはやはり淋しい。 
もうこうなったら、こちら日本人サイドからタイ人にもドンドン挨拶を率先してしなければいけないようである。 
3月16日(火)
3月15日(月) 日中街中で人とすれ違った時の挨拶。日本では「こんにちは」が一般的。 タイでは一応同意味の「サワディー(・クラップ)」という言葉があるが、タイ人はこの状況の時、あまりこの言葉を使ってこない。 
何をいってくるかと言うと「パイ・ナイ・マー」。 
直訳すると意味は「どこ行って来たの?」と疑問形である。 兎にも角にも「どこ行って来たの?」と聞くのがタイ人は好き。 
突然こう聞かれても、『何もいちいちどこに行って来たかを聞くなんて、そんなプライベートな事までなんで言わなきゃいけないんだ』と私も当初はそう思っていたが、これはただの挨拶であることが分った。 
では何と答えればいいかというと、「パイ・トゥラ・マー」(=ちょっと用事で行って来た) や 「パイ・ティヤオ・マー」(=遊びに行って来た) などと本当に適当に答えれば充分。 
知人がどこに行って来ようが、タイでは他人の事などたいして気にしていないのである。
3月14日(日) 突然であったが、日本の実家から連絡が入り小さい頃から親しくしていた、従兄弟の兄さんが急逝したとの事。 ただただ、吃驚するしかなかった。 私の親戚一同、住まいは岩手県である人が多く、皆すぐに集まったようである。私の家族も千葉の自宅から深夜に車を飛ばして岩手に帰った。 
私だけが、バンコクという「外の国」におり、すぐにでも飛んで行きたい気持ちが強くても、どうしようもない。 連絡を受けた後、非常に歯がゆい一夜を過ごした。 出来ることといえばインターネットから弔電報を作るといった、ただの虚しい作業。 旅行で来る分にバンコクは近いところかもしれないが、こういう状況になると、日本とバンコクの“距離”を強く感じた。 
一ヵ月後の日本一時帰国時には勿論岩手にも行く予定ではあるが、それまでの時間さえも非常に長く感じる。 
3月13日(土)
3月12日(金) 海外滞在に必須な滞在ビザの延長申請のため、出入国管理局に行って来た。 
ビザの延長と言うと非常にややこしい作業にも感じられるが、実際の所「会社」で働いている私にとっては、会社の事務担当のタイ人が必要書類を完璧に取り揃えてくれるので、私は必要なところにサインをチョ、チョ、チョッとして、管理局に行き、審議官と顔をあわせてハイお終い。当事者の割には意外とあっけないものである。
しかし、良く見るとタイ人が揃えてくれたその「必要書類」というのは膨大な量であり、紙だけの書類なのに厚さが1cm以上ある。私の場合、タイに滞在するためのビジネスビザがまず必要で、今回はこの延長であった。
一週間前には、仕事をするのに必要なワーキングパーミット(労働許可証)の延長申請にも行って来たのであるが、これまた同量以上の書類が用意されていた。
労働許可証と滞在ビザは別物である。 申請場所や受け取り場所もこの二つは実は違う。 外国人がそこの国に住んで働くというのは、それをするための準備だけでも実に大変なものである。 
今月中には、再度入国管理局へ行き、日本一時帰国後のタイ王国再入国ビザを申請しに行かなければならない。
またか…あ〜面倒くさい。
3月11日(木)
3月10日(水)
3月9日(火) 1年ちょい前まで通っていた、タイ語学校の同期の人が10ヶ月の日本帰国後再びタイにやってきた。 日本で求職をしていたら、バンコク・スクムビット Soi 26 に今度新しく出来る、オーナーが日本人のタイ料理店での仕事が見つかり、統括マネージャー的な存在でタイ人と共に仕事をしていくという。  現在はその新規開店に向けての準備期間中。 
なかなか日本でタイのこういった職を見つけるのは容易な事ではなかったとは思うが、またこれからも色々と大変なようでもあった。ガンバレー!!  (他人の事を言う前に、自分の事をしっかりしろっ!! って感じですかね? ・笑・)
3月8日(月)
3月7日(日) 写真を撮りたかったのであるが… さすがに撮れなかった。
BTS(スカイ・トレイン)で出勤していたら、突然スーツ姿にガスマスクを着けた金髪の西洋人が乗ってきた。
車内にいた人々は一同釘付け。 そりゃそうである。 私も、「コイツこれから何する気だ??」と真剣に薬物テロリストかと疑ってビビッてしまった。そりゃ、そんな男が同じ車両に乗ってきたら少なからず恐怖すら覚える。 結局この男は何をすることも無く、5分後私と同じ駅(Chit Lom)で降車した。 
スーツに鞄を持って、真剣な顔つきでガスマスクはやはり誰が見ても変である。 正直笑いすら込み上げて来た。
そのまま、改札を通ったそのガスマスク男は、人の視線も気にする事無く、隣接する建物(Maneeya Center)に入っていった…。 一体アイツは何者だったのであろうか?? ただのバンコクの排気ガス嫌い男なのか? それともホンモノ・・・?
3月6日(土) 私の住まいはいわゆる「アパートメント」である。 場所も場所(Onnut)なので、色々な国籍の人が私のいるアパートには居住している。
斜め向かいの家には、どうもフランス人が2人で住んでいるらしく、その2人が廊下に出てくると、いつもフランス語が大声で響き渡ってくる。 
向かいは英語を喋る西洋人(国籍不明)。 
左隣はタイ人のネーちゃんが2〜3人ぐらいで生活しているようで、昼過ぎになると大音響のタイミュージックが部屋に響き渡っていて、壁を伝って私の部屋にまでその音が届いてくる。生活時間がちよっと普通のタイ人とは違い、どうも夜系の仕事をしている人物らしい。顔はまだ全く見たことない。
右隣には先週アラブ人が引っ越してきた。 このまたアラブ人も昼間、大音量でアラビアンミュージックを部屋に響き渡らしている人物で、やはり私の部屋にまで壁を伝って聞こえてくる程である。 
私の部屋には両隣からエスニカルな雰囲気がプンプン漂ってきたいる…。
このアパートは、正に世界民族大集合アパートメントという感じである。
3月5日(金)
3月4日(木) 1日より施行された深夜のナイトスポット営業時間規正法であるが、その後になって突然、以前より有る店はOKだとか、特区ゾーンの改定に着手…だとか、なんだかまた、ただの金持ちタイ人同士の利権争いの様相を呈してきた。 結局一番被害をこうむっているのは、その店で働いているタイ人や観光客である。なーんなんだか、もぅ〜…。
数日がたったが、特区ゾーン外で店を開業しているある人に聞いたところ、特に通達もテコ入れも入っていないので、今までどおり営業するとのこと。 一応法律なのかもしれないが、バンコクの中ではいま、皆が法律違反している状態になりつつある。  
3月3日(水)
3月2日(火)
3月1日(月) つい先日に、温水器やらビデオやらが調子悪くなったと思っていたら、今度は冷蔵庫が… 
続く時はこういう感じで続くモノなのであろう。 
朝起きて冷蔵庫を空けたら、中にあるライトがつかない。 そして心なしか、中にしまっていた食料が冷えていないことに気が付いた。 
もう、最悪である。 時間も無かったので、仕方なしあきらめすぐに出勤したが、一日ブルーな気分であった。 「冷蔵庫」と言っても私の一ヶ月の家賃と同レベルの価格である。 しかもそんなに古い機械でもない。
夜、自宅に戻って、機械の後ろを調べて見ても、そりゃ全く分らない。 しかし・・・ 
冷蔵庫の中は、温まっているどころか、再び冷えていた。
ビックリしてよく調べてみると… もしかして、ただ単に中の電球が切れただけなのでは?? という疑惑が生じてきた。
すぐに電球を求めに走り、帰宅後試しに点けてみると…→点灯!!  嬉しいような、なんともマヌケなような。 
どうも昨日は冷蔵庫の扉を完全に閉めないで朝までそのままだったらしい (これはただの電気代無駄)。
そしてその間に電球が切れてしまっていた様子である(あぁ、何と言うタイミング…)。 
おバカな話であった。 その冷蔵庫、現在は快調に冷却中。 一安心、一安心。

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